新卒で就職した、建築業界では有名企業をわずか3年目で退職した。夜中に(終業が23時が当たり前、徹夜も当然の会社)上司に「劇団員になりたいので退職します!東京に行きます!」と宣言。
当時の月の労働時間は400時間超。あまりの仕事のきつさに消えるように退職していった同僚に比べ、盛大に送別会もしてもらい、なぜか人生初の胴上げをしてもらい上京した。
ENBUゼミナール入学
演劇専門雑誌・えんぶ(旧:演劇ぶっく)が主催する第一回の演劇学校の試験を受けるために上京。たしか北区の赤羽あたりのビジネスホテルに宿泊し、四谷にあるスクールまで受験に行った。スクール開設当初は有名講師ばかりで、名だたる劇団の主催者がクラスを受け持った。
私はキャラメルボックスの成井豊クラスを受験。面接は小説の一説を朗読というものだった。「あなたの名前は本名?そうなの!」「もっと大きな声で読むといいですね!結果は期待しててください」と言われたと記憶している。
結果は無事、合格。成井クラス第一期生となった。25歳は女子最年長。住宅費節約のために家賃3万円の中野の風呂なしトイレ共同アパートに住んだ。
30歳になって売れなければやめる
ENBUゼミ成井クラス同期生で劇団カレイド・ステージを立ち上げ。
30歳になって売れていなければ辞めると決め、やっぱり売れていなかったので働きながら劇団のお手伝いをした。
青春の街・下北沢
多くの演劇人が目指す場所、本多劇場。
下北沢には劇場が数あれど、やはり一番はここ。もちろんこのステージに立つことはなかったけど、TEAM 発砲・B・JIN(チームハッポウビジン)の裏方のお手伝いをした思い出のある場所。
社会人として軌道に乗り、風呂なしアパートは6年ほどで卒業したけれど、若さゆえに無茶ができたんだなと思う。
昨日下北沢に行ったので、ついたくさん写真を撮ってきてしまいました。
長い自分語りにお付き合いくださってありがとうございます。